他者に話を聞いてもらうために必要なこと

■ 人に伝えることの難しさ

幹部を対象とする研修などで、「他者に感動を与えるスピーチをしてください」と突然無茶ぶりをすることがある。反応は様々。無理だと不機嫌になる人もいれば、渋々ながらも堂々と始める人もいる。いずれにしても、なかなか難しいという感想は共通だ。とくに、いきなり知らない相手に対してのスピーチは難関だ。人を引っぱっていく使命がある組織幹部であれば、日頃から話す機会が多く、その意味は理解されているはずだが、ハードルの高さは変わらないようだ。上手に話して拍手喝采やおひねりを頂くわけではない。苦手意識をずっと持っているようではいけない。伝えるべきことを伝えられれば良い。

■ どうすれば伝わるか
 
ひとは高名な専門家の論理的で学術的に裏打ちされた話より、身近な人の体験話を優先・重視して聞く傾向があるようだ。身近な人の話など、たいてい伝聞の事例を針小棒大にした呟きだとわかっているのに、である。遠くの親戚よりも身近な他人を選ぶということが証明される感覚だ。

ある学校関係者の話によると、学生には20代を中心とした若い先生の人気が高いという。年をとった先生の方が、知識も豊富で教え方もすぐれているだろうにもかかわらず。私の経験でも、30代以上の先生はなんとも年寄り然としていると感じ、若い先生には身近な存在で、親近感を覚えた。異なる存在・遠い存在と感じれば、内容をあたまにいれる前の段階でシャットアウトしてしまう。その場に身体はあって耳を傾けているが、心ここにあらず。自分に近い存在を求め、似ているものに惹かれる。たとえ人生を変えるような含蓄ぶかい話であったとしても、校長の話は響かないのだ。読者はどうかわからないが、私は校長先生が毎週のように朝礼でしていた話を一切記憶していない。たぶん校長は学生向けに、時事ネタも含めてわかりやすい話をしてくれていたはずなのに、なんとももったいないことだ。10代の学生にとれば、40代や50代の方などは、もう想像を超えた雲の上の存在。教訓話を聞いても内容が頭に入ってくるはずがない。ただし、できが悪かった奴の話なので、例外事例であればご容赦頂きたい。

■ 伝達に向いている方法とは

さてこのことを拡げ、経営組織運営に転じて考えてみると、経営者や役員の話など、一般社員には全くといってよいくらい響かないのだろう。わかりやすい言葉で語ったとしても、耳に入らず理解が進まない。経営者が毎日懲りにこった話しをし、ブログを書き、ビデオメッセージを配信したところで、対象者にどれだけ伝わるのかは疑問である。それだからそこ伝える方法には、つぎの二通りのことが考えられる。

一つめは、自分が相手の立場に近づくこと。

立場や役割を捨てて近づくことだ。相手のことを考えずに語るとキャッチボールとならない。同じ目線。しかしこれは難しい。

さて、もう一つは、身近な人が翻訳と解釈により伝えること。

対象者に近い存在の人から、自分の言葉を現代風に翻訳・解釈して語らせることが必要だ。最近採用で取り上げられることが多いリファラルも同じこと。知り合いからの紹介ということが効くのだ。

人はそれぞれの層やクラスの中で生きている。いくつかのコミュニティに参加し、重なりがあったり、まったく別のものだったり、だとしても真ん中にいるのは自分。自分を中心に関わり、つながっている。自分の所属属性から離れたコミュニティに顔を出す頻度が低く、類似性があれば密に関わっているし顔を出す頻度が高い。人は人間関係によって活かされているのだ。

あまり所属したくないコミュニティの扱いに困っていても心配することはない。関係性が薄いと感じているならば、相手もそう感じているのだから、自然とフェードアウトするものだ。逆に相手が親しくなりたいと考えていて接触頻度を高めたいと考えているならば、こちらから接触しなくても、先方からしてくるので不便はない。ネットワークが広いと自慢することは、なんとも浅い感じがある。「知っている」程度は、その後のつきあいにどんな影響も与えはしない。
 
■ つきあいの幅が広がっている

職場組織では、上司や部下とのつきあい方に悩む程度。また組織間の調整といっても、業務フローの前後工程とのつきあい。実際には、海外との国境をまたぐつきあいも多くなっている。さらには言語そして宗教を許容する必要がある。最近増えてきたイスラム教の人達のお祈りの時間や食事の扱いは、初めて対応する場合には、結構センシティブな問題となる。つくづく日本の社会は、小さな村社会だったのだと気づかされる。

たしかに差異化という言葉があるように、ほんの少しの違いが雌雄を決する場合もあるのは事実である。その場では、自分とは何者かということをよく考える必要がある。「日本人ですよ」、「環境問題に興味と関心があります」、「和食が好きです」。これらもどこまでが自分を説明する言葉かどうかはわからない。専門性を説明しようとして、高すぎる教養をひけらかすと人は逃げていく。注意が必要だ。

■ 改めていろいろな人に話を伝える

話がずいぶん横道にそれたが、人は一度話を聞いたところで、頭には少しも入ってくるものではない。そしてそれが、関わりが薄いと感じればなおのことだ。類は友を呼ぶのだ。フェイスブックだって、友達を見ると、おおよそどの程度の人なのがわかる。人の評価付けを行い、その人の信用度を判断するサービスが出来ているが、かなり信頼性は高いと思われる。自分の考えや思いを他者の頭の中にいれ、行動に変えていくには、身近であると感じさせることが必要だ。

執筆:人事コンサルタント / コンソリューション
廣岡 久生

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